el_payasoのブログ

音楽とマンガとサッカーとよのなかのブログ。かため。

「ドミコ」のはらむ、現代的なあやうさは、たぶんやさしさ。

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ツーピースバンド、ドミコを紹介させてください。ギターボーカルとドラムの二人構成。この二人が出す音以外は何もありません。それなのに、なんなのだろうこの分厚い感じ。

技術的には簡単な話で、音を重ねまくっているというそれだけのことなんだけど、それでもこの空気を二人で出すことって本当に難しいと思う。

Blood Red Shoesって海外のバンドがツーピースでやっていたり、チャットモンチーが一人抜けてツーピースになってみたりと前例はあったけど、正直あまり魅力を感じなかったんですね。そこに飛び込んできたこのツーピースバンド。なんて魅力的なんだ。

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格好は極めてゆるい。使っているギターは「ダンエレクトロ」と言って、なんだかふにゃふにゃした形のやつ。失礼ながら、顔に覇気があるわけでもない。(正直、ここらへんのチョイスにはトガりを感じますが笑)

それとはうってかわって、オルタナ感というか、エッジの効いた曲調。歌詞からどことなくただよく「面倒くさい」感じ。けだるさ。なんだか、最近のはやりの界隈にはないような雰囲気ですよね。

 

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ところで、僕が一番好きなのがこの「くじらの巣」という曲なんです。ラジオから流れてきたので知ったのが最初だったんだけど、ツーピースだとは思いもしなかった。

「くじらの巣」っていうタイトルがいい。いったいそれがどんなものなのかは全く想像がつかないけど、「くじら」ってひらがなで書くあたりに、僕は童話的なやさしさを感じたりもするのです。そういえば、このボーカルの人の名前表記もひらがな(さかしたひかる)だ。

ただ、歌われる歌詞から浮かび上がる人間像はとっても悲観的。言葉の多くは「~ない」と否定形で語られる。諦めすら感じさせるような歌からは、音の空気も相まってものすごい切なさを感じる。

 

この人、ボーカルのさかしたさんは、ひょっとしたらものすごく優しい方なのかもしれない。他の曲を聴いていてもそうだけど、誰も傷つけようとしない。不安で心は満ちているはずなのに、その不安を他人に向けようとはしない。そのかわりに、自分の中で、不安を消化しようとしている。自分一人ですべてを消化することなどできないのに。そんなところが、曲調とか、雰囲気に出てきているのかもしれない。もちろん、この曲一つで人間を語ることなんてできないのだけど。

優しくて、あやうい。ツーピース、足元で重ねる音という、今までの日本のバンドシーンではあまり見られなかった新しさの中に、そんなものが含まれているように感じます。少なくともポップではないから、そう簡単には売れないのかもしれないけど...。でも、売れてほしいなあ。

「THE PINBALLS」が、あの日の地下の空気を「今」にする。

 

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フィッシュライフの記事を書いた時に、「2018年になってもまだこんな曲やってんのか」と記しましたが。このバンドにも全く同じことを、ものっすごい誉め言葉で書きたいのです、THE PINBALLS。そういやもう2019年だな。

方向性はフィッシュライフとは違うんでしょうが、「ザ・ロックバンド」ともいうべき4人編成、持ってるものからしか出てこない、その音だけでのストレート勝負。潔さすら感じる2~3分程度の楽曲。そこはかとなく漂ってくるのはTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTの香り。でも、あくまでそれはエッセンスに過ぎなくて、とにかくもう、彼らにしか出せないカッコよさがあるんですよ。

歌詞がいいじゃないですか。たとえばこの「アダムの肋骨」。

アダムの骨が動き出してる 時間は逆行して溶けだしてる
暖かい日の手袋のよう 優しく無意味な音に踊る
 

わかります?

パッと読んだって、何言ってるかわかんない...!!

...いやいや、そうです。それでいいんじゃないですか。いつから売れ線ロックバンドには「等身大の歌詞」が絶対必要条件になったというのですか。そもそも、歌詞に意味が必要だと考えるほうがバカげているのです。すべてはニュアンス、空気さえ伝わればそれでいい。要はカッコいいかカッコよくないか、それだけ。そして、彼らの言葉と格好にはそれらがすべて詰め込まれている。それでいいんですよ。

 

思えば彼らの存在を知ったのも随分前の話、後輩から教えてもらったことがきっかけでした。

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「あぁ、かっけぇなあ」と思ったものです。しかしながらそのあとしばらく触れる機会はありませんでした。それは自分自身が忙しくなったこととか、時代の流れとか、いろいろなものがあったんだと思います。

そして久しぶりに触れたTHE PINBALLSの音楽の、このさび付かないカッコよさといったらもう。いいなあバンドって。

そう、この音楽は、「いいなあバンドって」って、思わせてくれる。なんだかわからないけど、「バンドやりたいなあ」って気分にしてくれる。少し前、ひょっとしたらもうずいぶん前、僕が地下でバンド組んでライブやってたあのとき感じていた空気を再び感じさせてくれるような、そんな音楽。

でも決して古臭いわけじゃない。間違いなくこれは「今」の音楽です。

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なんで4万再生しかされてないんですかーーーーー。もっと聴こうぜ!!聴いてほしい!! 

改憲、実際どーなのよ問題。

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この方はなんというかいつも不思議なことをおっしゃる方だなあという印象なのですが、なんかずいぶん踏み込んだ発言をされたんじゃないですかねこれは。

確か、この記事にある「改憲草案」っていうのは確か、自民党が野党だったときに作られたやつですよね。確かその当時も「人権が制限される」とかなんとかでずいぶん話題になっていたような気がするんですけど。

 

改憲」って、実際どうなんでしょう。

 

草案の話じゃないけど、この手の話題ってなんだか、世の中じゃほとんど語られないですよね?統計を間違ってたとか、「がっかりした」とかそんな話が最近はよくニュースでやってますけど、改憲の話題ってあんまり世間で話されないよなあって。実際果たしてどんなもんなんだろうなーってすごく不思議。

まあ現実問題、自衛隊の存在はとっくの昔に常識となっているような気もする。朝方、チャリンコに乗って基地へ向かう迷彩服の人に対して絶対的に嫌悪感を抱くような人が、果たして現代においてどのくらいいるのだろうか?

だからこそ、安倍晋三さんは本当は憲法をバリバリに改造したいはずなのに、我慢して「自衛隊違憲状態を解消しなくては」なんて心にもないこと言ったりするんだろう。本当の目的はそこじゃないんだけどね。ここら辺なら一般ピーポーはなんとなく飲み込みやすい、という彼なりのギリギリのさじ加減。

 

ただ、だからこそ僕が思うのは「なんでわざわざ変える必要があるんだろう?」と。この話が出るたびにいっつも思うんですよ。むしろこの、「本来は存在しちゃいけない暴力装置」という自衛隊の立ち位置をどうしてうまく利用しようと考えないんだろうって。

馬鹿とハサミは使いようじゃないですか。そりゃ昔のいざこざ、モヤモヤはあるんだろうけど、逆手に取ろうと思えばいくらでもいけるんじゃないかなあっても思うんですよね。湾岸戦争なんか好事例じゃないですか。国家の最終的な目標って、僕はそこに所属する人の命を守ることだと思っていて、血を流して貢献しようだなんてなんでそんなことわざわざする必要があるのか。目標を達成した稀有な事例だと思うんですよ。

 

よくこの自衛隊論争になるときに、「国際社会じゃ軍があって当たり前」みたいな論法を繰り出す方々いらっしゃいますけど、僕に言わせれば「当たり前である必要がどこにあるのか?」というところで。

それこそ今のアメリカだったり中国に学んだらいいんじゃないですか。彼らは事実をねじ曲げるなんて得意中の得意だし。当たり前なんていうのはTPOでゴロゴロ変わるんだから。そんなの歴史が証明している。無理に合わせに行くよりも、無理やり押し付けられたものだとしても「オリジナリティ」としてうまく活用したらいいんじゃないですかね。

僕は9条、ひとつのカードとしてうまく使ったらいいんじゃないか論者です。

きのこ帝国「タイム・ラプス」。彼女達なりのOMOIDE IN MY HEADがそこにいた。

 

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1か月前くらいに「きのこ帝国は本当に変わってしまったのか」みたいな記事を書いたんですよ。で、書いているうちに9月ニューアルバム発売!みたいなのを知ってワクワクしていまして。早速今日聴いたのです。ということで、感想を書かせていただくのです...!!

 

きのこ帝国は、ロック・バンドだ。

と僕は今回考え直すことができた。定義だなんだというのは面倒くさいが、僕の好きなロック・バンドのどれもが抱えている空気が、今回の「タイム・ラプス」にはあふれていたのだ。だから、きのこ帝国は、ロック・バンドだ。

この「空気」が何なのかは、いまだにうまく説明できない。でも、ある。

「時間の経過・推移」を意味するタイトルがつけられたこのアルバムの中には、紛れもなく時間が流れていた。今を生きる人が、今の空気をそこに詰め込んでいた。発売してすぐ聞いたからなのかもしれないけれど、僕はそう感じた。

 

1曲目「WHY」と2曲目「&」は、きのこ帝国というバンドそのものの「時間の流れ」をガツーンと味あわせてくれた。「ロンググッドバイ」の頃に引き返すつもりは微塵も感じられないような曲調、歌詞。どの方向を向いているのかはともかく、とにかく自分たちは先に進むのだと、言われているようにすら感じる。特に、「&」の冒頭、

くだらない夜で埋めた 

という言葉。どっちかと言えば、このバンドは「夜が友達」みたいなところがあると思っていたから、「くだらない夜」という言葉の登場はなかなかに「変化」を感じる。ただし、別に強調するようなものではない。というところに「猫とアレルギー」辺りの変化とはまた違うものがあるように思える。こっそり。

 

3曲目「ラプス」からが深い。

なぜ疑うことだけ上手になるの 誰かを信じたい それだけなのに 

たぶんこんなことは昔は唄わなかったと思う。そこにある「ラプス」。この曲にこういう歌詞を乗っけたことに、このアルバムの方向性に対する強い意志というか、覚悟を感じる。

 

4曲目「Thanatos」は、このアルバムの形を決定づけてくれる。曲調は懐かしさも感じる、好みのバンドサウンドなんだけど、それに乗っかる歌詞がまた沁みる。

明日へ繋がるドアを蹴飛ばしてみたいけど

泣いてる誰かが言う

「それでも、進め」 

 「それでも進め」という言葉に、僕はものすごい悲壮なものを感じる。後戻りはできない。先にも進みたくない。でも、立ち止まることもできない。ここが肝で、「できない」のである。なんせ、相手は時間。どうにもならないやつがそこで僕らを見ている。だから、できることと言えば、よりよい先を信じて、進むことぐらい。

これが、アルバム全体を貫くテーマなんじゃないだろうかと思う。すなわち、「どうにもならなさ」を徐々に憶えてきている中で、自分はこれからどうしていこう、という苦しみ。決してそれは、冒険に出るような興奮ではなく、苦しみ。だから、タイム・「ラプス」なのだろう。経過する時。経過してしまう、時。

 

この大枠に乗って、そこから先は流れてゆく。

「傘」は、まだ見えない解決のキーワードに、先回りして疑いの目を向けるような曲。向かおうとしてるけど、それでいいのか?という自分がいる。たぶん、過去の自分。

「ヒーローにはなれないけど」 金木犀の夜」 「中央線」 「LIKE OUR LIFE」この辺りが、過去の自分を振り払おうとする。これらの曲のいずれにも、苦しみに対する答えとして、一つのキーワードがフワフワと浮遊している。それはすなわち、「君」だ。心なしか、12曲目「カノン」につなげるためのブリッジであるように感じられる。

 

そして、「中央線」でもう一つのキーワードが唄われる。

いつか、こんな想いも いつか、消えていくんだろう 

最初のサイトに載ってるインタビューで、この曲が大学3年のころに作られたものであることを佐藤さんが話している。21歳が吐くこの手の言葉って軽いよなあって思うだけど、この軽さがかえっていい味を出しているし、次につながっている。1周回ってくるための、ランドマークみたいになってる。

 

炸裂するのがこの次、「タイトロープ」。この曲が本当に沁みる曲だった。やばい。やるせなさすぎる。なんていうか、聴いたら分かるよ。ていうか、聴いて分かんなかったら、だめ!

コード感からなんとなくサカナクションのアルバムの終盤戦を感じるのだけど(たぶんそれもどっかに元ネタがある)、まあそんなことはどうでもいいのだ。沁みる。

タイトロープ

朝焼けに消えてしまう前に

飼いならしたつもりでいた夢は

そっと消えていた

あー、痛い。痛すぎる。刺さる。この無力感、昔を振り返ってしまったときのこの感覚が、強い。苦しい。

 

そしてその次の「カノン」である。もし、いまのきのこ帝国に「伝えたいこと」があるとするのなら、それはたぶんこの曲で唄っていることなんじゃないかな、と思う。とにかく、「君」なんだ。こんだけ書いといて何なんだけど、この曲はぜひ聴いてほしい。びっくりするくらいストレートに、「タイム・ラプス」の苦しみへの対抗策が唄われる。

 

最後、「夢みる頃を過ぎても」。

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ここまでのすべてが、この曲によってきれいにまとめ上げられている。結局のところ、もがいてみたけれど、ここまで書いた苦しみも、対抗策も、飲み込めない。あなたのことを考えるたびに、それが一時のものに過ぎないのだということに、気付かされる。そんな中で、夜は明ける。それ自体が、「タイム・ラプス」。

たぶん、最後は「中央線」で唄われた言葉に戻ってくるのだろう。

いつか、こんな想いも いつか、消えていくんだろう

 

 

ところで、僕は最後の曲を聴いて、歌詞を読んで、「OMOIDE IN MY HEAD」を感じた。

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ぜんぜん違うけどね。でも、きのこ帝国なりの、「OMOIDE IN MY HEAD」がそこにあるんじゃないかなと、思う。

なんて言ったらいいんだろう?ぱっと浮かんだのは「時間との戦い」という言葉なんだけど。まあ、この2つの曲をどんな言葉でくくれるのかは、また探していこうと思う。

 

いいアルバムでした。きのこ帝国に惚れ直した、そんな感覚です。

「『子供を殺してください』という親たち」が描くのは、「子供」たちの成れの果てと、そのルーツ。

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マンガが好きでして、いろいろなマンガを読みます。ぜひたくさんの方々に読んでほしい。ので、紹介していきたいなあと思っております。

ということで1発目なんですが、まあ、いきなりこういうやつです。去年から連載してたそうなので、もっと早く出会えたらよかったかな。それとも、今でよかったかな。

僕の中では「体力の要るマンガ」というのがジャンル分けされてまして。例えば「健康で文化的な最低限度の生活」とか、「透明なゆりかご」とか。察していただけるでしょうか。笑

テーマが重いんです。ここら辺は、「よしっ、読むぞー」となるまでに時間かかっちゃうんですね。ノンフィクション空気というかなんというか。好きなんですけどね。ちなみに、現在僕の中で対極にあるのはバトルスタディーズです。すらすら読めちゃう。

で、このマンガも、僕の中で無事「体力の要るマンガ」にジャンル分けされました。まー重い重い。そりゃ命ですからね、重くもなりますよね。

 

取り扱われているテーマはタイトルの通り。「子供をなんとかしてほしい」という親の相談に乗ることを仕事にされている方のお話。1巻の表紙は、背中にカッターナイフを隠す女子高生。

ほうほう、こりゃヤバい子供(たぶん10代)がいっぱい出てきそうだな。そして、その子供に悩む親と、子供をなんとか助けてやろうとする大人の話なんだろう...「夜回り先生」みたいなね...

 

...と思っていると、表紙にだまされます。読むと分かりますが、このお話に登場する「子供」というのは、若くて20代前半。14話の時点で、全員が成人済みです。中には52歳男性なんていうのもあります。

ただ、「なーんだ」となるかというと、決してそんなことは無いと思います。なにせ、出てくる「子供」は全員キョーレツな人ばっかりです。具体的に言うと、1話目に登場する「子供」は、自宅の庭で、フルチンでバットを振っています。しかも真っ昼間から。そういう「子供」です。そういう、キョーレツな「子供」たちをなんとかしてやろうという大人、「押川剛」さんの話です。

 

ここで注目してほしいのがタイトル。このマンガにおいて描かれているキョーレツな「子供」たちは、かなり目を引きます。それはマンガとしての「ウリ」でもあるのだと思います。しかしながら、メインテーマはその「子供」たちではありません。このマンガにおけるテーマは、「親」なのです。

その証拠に、1話目の最後で、主人公?である押川さんがしゃべる言葉があります。このマンガで何を描きたいのか?ということの意志表明のように感じられました。

「子供を殺してくれませんか」・・・

 これらはすべて俺のところへ相談にやってきた親たちの言葉だ

しかしそんな親たちは いまの自分の姿こそが

長年の積み重ねの結果であることを忘れている

表面的な事象にとらわれ ぬくもりや人間味に欠けた育て方をすれば

問題行動として必ず跳ね返ってくる

それは子供たちの心の叫びだ

親たちへの復讐だ

 

「親」です。

どんな子供でも、親の影響を受けます。親の影響を受けない子供は、いません。捨てられたのなら、「捨てられた」ことが子供のアイデンティティとなります。会話したことが、あるいは会話しないことそれ自体が、子供を作ります。必ず、どこかでかかわりが生じているのです。

1話目こそ、この「親」のかかわりはかなり暗示的に描かれていますが、2話目以降は、これこそが主題になっているように感じます。「親」のかかわり、その環境が、「子供」に何を引き起こしているか?その成れの果てに、何が待っているのか?「親」にとって、1番必要なものとは何なのか?その事実が、このマンガではありありと描かれています。

 

僕は、仕事柄、こういう子どもたち、あるいはこういう親たちによく会うことがあります。もちろん、子どもが問題を抱えるとき、100%全てが親の影響だとは思いません。一方で、少なからず「親のかかわり」が理由で問題を抱える子どももいます。

それを経験しているせいか、このマンガにはかなり強い共感を覚えました。僕のかかわる「子供」はもう少し下の年齢ですが、大勢は変わりないんじゃないかなと感じます。

 

だからこそ、重い気持ちになります。僕のかかわる子供たちの先に、このマンガのような展開が待っているんじゃないか、とすら思ってしまうのです。願わくば、このマンガのような展開を迎えない家庭であってほしい。だからこそ、親には気付いてほしい。ぜひ、たくさんの方に読んでほしいマンガです。ノンフィクションの文庫版もあるそうなので、そちらでもぜひ。

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ぼくとサッカーの近頃

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サッカーが好きです。今から15年くらい前に、地元のチーム「ベガルタ仙台」の試合を見たのがきっかけでした。

時同じくしてサッカーにハマった父親の羽振りの良さ(?)もあってか、そこから10年ほどは毎試合毎試合ベガルタの試合を見に行く日常。ところが、仕事を始めた5年前くらいからは、サッカー観戦というものから遠ざかってしまいました。

それは単純に、ベガルタのスタジアムがある仙台から離れたことと、仕事に慣れるまでに相当な時間がかかったこと、土日の休みがほとんどなかったこと、などが理由でした。

最近、やっとベガルタの試合を見に行けるくらいの余裕と休みが生まれてきたので、この前見に行ったんですよ。今年初のベガルタ。ワールドカップもあって、ずいぶんサッカーも盛り上がっていたから、なんとなく見に行きたくなったのです。きっと、同じような人がたくさんいるんでしょう。

 

相手は、名古屋グランパス。なぜこの試合を選んだか?それは、名古屋が最下位だったからです。いくら予算も少なくてあんまり強くないベガルタとはいえ、最下位相手なら勝てるだろう、と思ったわけです。

結果は、1-2での敗北でした。

......なぜじゃあああ!!

こういう時に限って、相手チームにいる元ブラジル代表とか、夏に移籍してきた謎の新加入選手とかが大活躍するんですよね。なんなんですかね?

 

思えば、僕が1番最初にテレビで見たベガルタの試合も、0-4で負けました。次の試合を見にスタジアムに行ってみたら、あろうことか0-5で負けました。あああ......

そこらへんでハマりだしたのですから、このぐらいヘッチャラなんです!ヘッチャラ..........ヘッチャ......ラ..........

 

へこたれません。先日は、ガンバ大阪戦も見てきたのです。こちらは、無事に2-1で勝利!!いやー、嬉しかったし、楽しかったー。やっぱり、生でプロの試合を見るのってすごく楽しいし、応援するチームが勝ったら、なおのこと嬉しいですね。

今年は、今までよりもうちょっとだけ、サッカーを見に行けたらいいなー。去年くらいから、なぜかサッカー界の端っこの方に関わっているので、見方も変わるし、勉強にもなっているような気がするのです。今までとは違う意味で、サッカーが楽しくなってきた感覚があります。

この前の天皇杯横浜F・マリノス戦も勝ったし、調子いいなー、ベガルタ。ワクワクしてるぜ。今日はこれから川崎フロンターレ戦。相手は2位の強豪だけど、ここで勝てば上位がグッと近づいてくる...!!うおー。

 

ということで、僕とサッカーの近頃でした。また次回。

「星野源」は、いつも寂しさの側にいて、いつも幸せを訴えている。

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先におことわりしておくと、星野源に対して僕はそこまで没頭してないんです。ただ、興味があるのも事実、友だちがハマっているのも事実。話題作りのために見た「おげんさんといっしょ」がそこそこ面白かったのも事実、というところで、星野源

「おげんさん」で流れてた「アイデア」という曲が気になったので、Youtubeで調べようとしたら、それよりも先に「『アイデア』を聞いた感想」を見てしまって(笑)。

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で、実際に聞いてみて、なんか思う所あって、他の曲もいろいろ聞いて、歌詞読んで、腑に落ちて、今に至ります。

「アイデア」で僕は初めて感じたんだけど、星野源の歌って、めちゃくちゃに寂しいよなって。哀愁って言ってもいいのかなあ。今までのこの人の歌に対する印象は、「サブカルによったパリピだなー」ぐらいだったもので。

つづく日々の道の先を 塞ぐ影にアイデア

雨の中で君と歌おう 音が止まる日まで

つづく日々を奏でる人へ すべて越えて届け

これは「アイデア」のサビ部分の歌詞なんですけど、ものっすごいもの悲しさが漂ってるよなあって思うんですよね。なんつーか、自分が終わるときを見据えすぎなんですよ。で、それを悟りすぎなんです。

他の曲も聞いてみる。

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祈り届くなら 安らかな場所にいてよ

僕たちはいつか終わるから 踊る いま いま

散りばめられた明るい言葉の中に際立つこの部分。悟っておる。

この悟りの正体は何なんだろう?というくらいで、調べてみたら、そうだ思い出した。星野源は、くも膜下出血で2回倒れているんだ。

 

星野源 - Wikipedia

 

 

結構話題になってたのを、ここで思い出した。全ての源泉は、多分そこにある。

そう考えたとき、いろんな歌詞の意味もちがって見えてきた。この人の言葉には、真実味があふれていた。きっと、この人のとなりには、いつも寂しさとか、悲しさがある。「音が止まる日」が、現実味を帯びて隣にいるんだと思う。それは、想像したところでとても分かる感覚ではないだろう。

だからこそ、端々からあふれ出る寂しさの中に、暖かさがある。

 

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ただ 幸せが 一日でも多く 側にありますように

悲しみは 次のあなたへの 橋になりますように

遠い場所も 繋がっているよ

星野源の最近のシングル曲は、必ず強めのメッセージを残している。いつも、誰かに何かを言っている。この「Family song」なら、この部分。「アイデア」「SUN」も先程引用した部分がそう。

 

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胸の中にあるもの いつか見えなくなるもの

それは側にいること いつも思い出して

君の中にあるもの 距離の中にある鼓動

恋をしたのあなたの 指の混ざり 頬の香り

夫婦を超えてゆけ 二人を超えてゆけ 一人を超えてゆけ

 

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Crazy Crazy 可笑しい心踊れ

Crazy くるって ふざけた場所で逢おうぜ

 

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動き出せ 針を回せ 次の君に繋がれ

時よ 僕ら乗せて 続いてく 意味もなく

 「次」「つづく」といった言葉もたくさん出てくる。ものすごく、「いのち」を大切にしているんだろうなあと思う。でも一方で、それがあっけないということも感じているのだろう。だから、こういう曲を歌うことが出来るのだと思う。

 

星野源は、いつも寂しさの側にいる。そしていつも、僕らだったり、誰かだったり、彼自身だったりに、何かを伝えようとしている。それはたぶん、「幸せ」のことなんじゃないかと僕は推測する。あの笑顔の後ろに、たくさんの寂しさがあって、それを全部背負って、星野源は笑っているんじゃないかと、思う。

なんだかまるで、クラウンのようだ。明るい曲で、人々をいつも楽しませている。でもその裏に、とてつもない大きさの哀愁がある。なんつーか、裏舞台を全て広げているクラウン、みたいな。かなりハイレベルなことしてるな。

すごい人だなと思います。