el_payasoのブログ

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「松本龍」さんの訃報に寄せて

 

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「美しい顔」といい、最近は震災直後のことを思い起こさせるような出来事が多い。松本龍さんの訃報もその一つだった。「出来事」といってはあまりに礼を失しているかもしれないが、そのような言い方しか思い浮かばない。

 

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とにかくものすごい話だった。果たして地震にあった我々が、あなた方に対して一体何をすればこのような言われ方をされるのか、というぐらいの言われっぷりだった。「書いたら、その社は終わり」という言葉をばっちり流したテレビも、すごかったなーと思ったもんだった。

マスメディアは、その性質上、基本的に政治に対しては強気だ。ただ、僕も現場にいたことなどないから、このような発言が果たしてどれほどの頻度で行われているかなど全く分からない。ひょっとしたら、「その社は終わり」といったようなことは、日常茶飯事のように言われているかもしれないし、まったく使われないのかもしれない。それでも、脅しに屈しない、という姿勢を見せたマスメディアはかっこよかった。スカッとジャパンだった。

今や「ああ、そんな話もあったっけな」ぐらいに落ち着いているこの大事件。仮にも「復興」と名のついた大臣が、条件付きとはいえ「何もしないぞ」というキーワードを使ってしまった時点でアウトだったのだろう。言葉の恐ろしさを感じると同時に、その程度の気遣いも出来ないような人があっさりと偉い人になってしまう恐ろしさも感じたものだった。政治の世界って、なんでそうなんだろう。と思ってしまうのは、あまりにそんなことばっかり起こっているからなんですかね。ここにも「分断」が存在する気がする。これはひょっとしたら、今の社会のテーマそのものなのかもしれないな。

 

さて、復興。どうだろう?「美しい顔」の記事でも書いたけれど、ハッキリ言ってまだまだ途中だし、もはや心情的には終わりのないものにすらなっているのだろう。そういったときに、何が必要か。繰り返すが、「リスペクト」だと思う。僕には僕の人生があり、あなたにはあなたの人生がある。無理やりにでも立ち入るべき領域と、決して立ち入るべきではない両機が存在する。そこを理解することが、今後の復興において大切なことだと思う。もちろん、お金の支援も重要。どんだけ頑張ったって、戻らないものは戻らない。でも、戻るものもある。

 

この言葉は、重い。どこまで行っても、僕たちは3月10日から逃げられないし、3月11日を忘れることはできないし、その延長線上にある今を生きている。

忘れてはいけない、と思ってしまう。忘却の禁止は、好む好まざるに関わらず、いよいよ義務と化している。僕たちは、背負いたくもないのに勝手に十字架みたいなものを背負わされ続けている。それが現実であり、今である。良いも悪いも、正しいも間違いも存在しない、今である。