el_payasoのブログ

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「オウム真理教」について本気出して考えてみた。1

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というわけで、考えてみよう。

  

はじめに

地下鉄サリン事件」が起こった時、僕はまだ3歳と数ヶ月。1995年当時の空気なんてもんは全く覚えちゃいないが、「地下鉄サリン事件」と「オウム真理教」という言葉だけはなんとなく覚えている。たぶん、そのあともずっとテレビで流れていたからだろう。

子どもでも、たぶん説明できる。オウム真理教」とは、「地下鉄で毒ガスをまいて、たくさんの人を殺した人たち」である。それ以上でもそれ以下でもない。

ただし、人生をよりよく生きたいならば、この組織がいったい何なのか、ということは知っておくべきだ。なぜなら、彼らは曲がりなりにも「宗教」だから。そして「宗教」とは、よのなかの本質だから。

もちろん、中途半端な理解は危険だ。それは、彼らを認めることにつながる。彼らを認めることは、殺人の許容につながる。それだけは断じて許されない。それがこの国のルールであり、世界の大多数におけるルールなのだから。そこを押さえておかないと、この問題について考えることは難しい。デリケートな問題だな、と僕はいつも思っている。死刑の話については、また別。

 あと、オウムの話について触れる時、どうしてもゴシップ的なものがいっぱいまとわりついてくる。オウム食とか、謎のヘッドギアとか、左道タントライニシエーションとか。実に面白おかしいものばっかりであるけれど、たぶん、根っこの問題はそこではない。こういうところばっかりを見て、「頭のおかしい集団だ」とだけ決めつけて終わらせてしまうには、あまりに根深い問題が存在していると僕は思う。次のオウムが生まれる可能性なら、どこにでもある。

 

オウム真理教、っつーかそもそも「宗教」ってなんなの?問題

オウム真理教」は「宗教」である。これさえ人によっては「違う!」という人がいると思うけど、僕はそう捉えている。

人間、誰でも不安や悩みを抱えている。明日のテストでいい点が取れるだろうか。仲の悪いアイツとうまくやっていくためにどうすればいいだろうか。なぜ戦争が起こってしまうのだろうか。死んだらどうなるだろうか。

「宗教」は、そういった人の不安や悩みに対して、「こうすればいいですよ」と、1つの答えを教えてくれる。キリスト教も、イスラム教も、仏教も、超おおざっぱに言えばそんな感じだ。

キリスト教イスラム教が教えてくれる答えは、「とにかく神を信じなさい」。神の言ってることを信じてさえいれば問題なし。オールオッケー。ちなみに、キリスト教イスラム教では信じる神がビミョーに違う。

おまけクエスチョン。神の言ってることって、誰が教えてくれるの??正解は、「本」である。キリスト教なら「聖書」、イスラム教なら「コーラン」に、神の言葉がひととおり書いてある。これを読めばバッチリ!というわけだ。人生の参考書みたいな感じ。

仏教が教えてくれる答えは、「とにかく修行しなさい」。今でこそ「ナムアミダブツと言っておきなさい」とか、「お墓参りしなさい」とかいろいろあるけど、実はそいつらは後付け。もともとは「修行しなさい」というのがスタートである。

もちろん細かいことはたくさんあるんだけど、このくらいの理解で構わないんじゃないかと思う。問題はオウム真理教だ。これは、「修行しなさい」という仏教の流れを汲んでいる。

 

仏教の考え方として、世の中は苦しみで満ちあふれている、というものがある。生きているだけで苦しい。そして、人間は生まれ変わりつづける、と彼らは考えている。死んでも死んでも、生まれ変わり、苦しみの世界に生きるのである。

この考え方は「輪廻転生」と呼ばれている。そこから抜け出す方法が「修行」。修行を重ねることで、僕らは輪廻転生から「解脱」し、安らぎの世界に行くことができるのである。解脱することを「悟りを開く」、安らぎの世界のことを「極楽浄土」と言ったりもする。ちなみに、解脱することはとっても難しい、ということになっている。

 

オウムが言っていることもそれとだいたい同じ。いちおう。そして、オウムのボスである麻原彰晃は、既に解脱に成功している。しかも、本場・ヒマラヤで。ということで、麻原彰晃のもと、解脱するために修行しましょう、というのがオウムのそもそも、なのだろう。いちおう、解脱するための手段として「ヨガ」も用意してある。ヨガのポーズで、瞑想することが修行。

もちろん、どこまでが本当かは分からない。ただそれを言ってしまうと、そもそもよのなかのありとあらゆる宗教すべてが「本当か?」のオンパレードなので、ここでいちいち「本当か?」とツッコミを入れるのはナンセンスである。キリストは死んだ3日後に復活するんだし。

ちなみに、宗教が信じられるためには何らかの「根拠」があると非常に強い。キリスト教でいえば、死んだ3日後に復活するイエスキリスト。イスラム教でいえば、洞窟で天使からお告げを受けるムハンマド。仏教でいえば、悟ったブッダ本人。オウムにも、それがあったのだと思われる。おそらく、麻原彰晃の例の空中浮遊。

繰り返すが、ツッコミはナンセンスである。キリがない。

 

なんで嫌われるのか?問題

ヨガで解脱を目指しましょう!だけだったら、別に何でもないただの新興宗教で終わっていたはずだったのだ。ところが、オウムはそれでは終わらなかった。

1つの問題は、「出家」を重視していたところ。「出家」とは、修行のために外界との接触を遮断しましょう、ということ。解脱するためには出家が必要だったのだ。とはいえ、いきなり自分の家族が「出家するわ」と言って、素性も知れない紫の服着たヒゲモジャのおじさんのところに行こうとしたら、そりゃ家族は止めるだろう。それが日本各地で起こるのだから、そりゃ社会問題になる。でも、止まらない。宗教は心に働きかける。心は、強い。

しかも、めんどうなことに、出家の際は自分の財産をオウムにすべて渡したりしていた。それを無理やりやるんだから、そりゃ社会問題になる。

 

www.thutmosev.comこんな感じだそうです。

ここが、いやに現世的である。輪廻転生なり解脱なり言っている割には、「先立つもの」にずいぶん執着する。ここに僕は、どうしようもない「うさんくささ」を感じる。現世を良いものとして捉えない割に、いやに現世的。タイなんかだと、托鉢という文化がメジャーらしい。なんでそこに辿り着かなかったんだろう?という疑問。きっと、たくさんの人が同じように感じたに違いない。だから、認められなかったのだろう。

 

www.sankei.comこんな問題にもなっているらしい。

 

続きはまた今度書く。